下仁田ネギの歴史
ネギの由来
ネギの原産地は日本ではない。
ネギは中国西部から中央アジア原産の古い栽培植物で、日本には中国大陸から朝鮮半島を経て渡来し、西日本から順次東日本へと広まり全国各地で栽培されるようになったらしい。
下仁田ネギもその一つであるが、改良が繰り返されてできた品種なのか、はたまた偶然の突然変異による産物なのか?明確な記録は残っていない。
品種改良によるものか?、突然変異によるものか?いずれにしても下仁田ネギが下仁田でしか美味しく育たない現実を考えれば、ご当地・下仁田で生まれたものであることはほぼ間違いないだろう。
日本書記の493年の記述の中に「秋葱(あきぎ)」の文字が書かれているが、これが「葱」についての最も古い記述とされている。
下仁田葱・殿様葱の由来
下仁田でいつ頃からネギが栽培されていたかも明らかではないが、下仁田町の桜井家には、「ねぎ御用につき江戸急送方達」というタイトルの古文書(文化2年[1805]年11月)が所蔵されている。
書かれている文面を現代語で要約すると「御用につき(公務で使うから)ねぎ200本、きぬ3疋半を至急送れ。運賃はいくらかかっても構わない。」とあるそうで、これが多くの書物に引用されている部分である。
下仁田ネギが別名、殿様ねぎと言われるようになったのはこの事からだと言われている。
※下仁田のネギは江戸の殿様が欲しがるほど有名?美味しかったのだろうが、この時にはまだ「下仁田葱」という名称は無かったようだ。
最も古い下仁田葱?
天保3~4年(1832~1834)の高崎藩の殿様、松平輝承の御側頭取、原 小兵衛の日記には、下仁田葱を交友のあった各地の殿様に年末、年始の贈答品として贈った事が書かれている。下仁田葱という記述が見られるのは現在これが最も古い記録ではないかといわれている。
富岡製糸場の操業開始とともに贈答品としての需要
明治5年(1872)、富岡製糸場操業開始。
翌6年、ウィーンで開催された万国博覧会において出品した絹糸が第二等進歩賞碑を受賞する事により同製糸場は一躍有名になり、関係する人々の訪問が多くった。その結果、贈答品として下仁田ネギの需要が一気に高まったようだ。
※明治以前は勝手にネギの栽培ができなかったのか【昭和農業技術発達史】には「明治時代から栽培が認められ・・」とうい記述がある。
教科書に下仁田ネギが登場
明治16年(1883)に刊行された小学教科書【群馬県地誌略巻之上】に、
「下仁田ノ葱ハ最モ著名ナルモノニシテ」と記述されている。
下仁田ノ葱から下仁田葱へ
明治20年(1887)大阪の万国博覧会が開催され、そこに出品したしたときから正式名称として「下仁田葱」と改称される。
それまでは、下仁田の葱、上州葱、西牧葱とも言われていたようだ。
小学校・地理の教科書に下仁田葱が登場
明治23年(1890)小学校・地理の教科書に、
「下仁田葱ト称スルハ、下仁田近傍ヨリ産スルモノニシテ、其名世ニ高シ」と記載される。
皇太子殿下に下仁田ネギを献上
明治41年(1908)10月に皇太子殿下(後の大正天皇)が陸軍の機動隊の演習でご来県の際、下仁田ネギを献上したという記録がある。
皇室で下仁田ネギをお召し上がりになったのはこの時が始めてではないかと推測される。
皇室へ下仁田葱を献上
昭和9年(1934)、陸軍特別大演習並びに地方行幸に際し、西牧村西野牧(現在の下仁田町西野牧地区)の佐藤 勝造、吉田 村、相川 次郎が下仁田葱を皇室へ献上した。
このことが同地を「下仁田ネギ発祥の地」とされた所以のようで、同地の畑に立てられている標識も昭和20年代のものではないかと推測される。
このときの栽培日誌である【献上葱奉公日誌】(下仁田・佐藤家所蔵)には、耕作地にはしめなわを張り、群馬県警察の衛生課、防疫係の警察官が立会い、北甘楽郡農会長、村長、小学校長等関係者が多数参列し畑の消毒に始まり、神官の御祓の後、栽培者には検便を実施するなど多くのご苦労を経て栽培された様子が克明に記録されている。
※この他にも昭和16年に下仁田ネギが皇室に献上された記録があるが、詳細は不明。
上毛カルタに詠まれる
昭和22年には、群馬文化協会 浦野 匡彦により上毛カルタが編集され、「ねぎとこんにゃく下仁田名産」と詠まれた。これを契機として日本各地にまで下仁田のネギが知れわたる様になったようです。
その後の下仁田ネギ・・・・
昭和に入り下仁田町馬山地区で盛んに栽培されるようになった下仁田ネギですが、このように皇室への献上、上毛カルタに詠まれてからはさらに知名度が高くなりました。
これに伴い他地域での栽培の可能性を群馬・長野の両県農事試験場が実験したところ、群馬(前橋)では育ちが悪く、長野では育ちすぎて葉が硬直するなど食べ物にならなくて、結局「下仁田ネギは下仁田におけ」という結果に終わったと言われています。
近年では他地域でも栽培できる新種の下仁田ネギができ栽培されていますが、見た目は似ていても、その味が決定的に違うという意見もあり、新種のそれに対して下仁田ネギの名称を使う事に関して違和感を覚えている農家も多いと聞きます。
※以上、参考・引用文献
【ネギの来歴を追って】里見哲夫氏
【野菜園芸大辞典】清水茂